【切支丹(キリシタン)】
意味
禁教令の弾圧で侮蔑的に切死丹・鬼理死丹が使われた。徳川綱吉以降は吉利支丹は、切支丹という表記が一般。
例
切支丹、吉利支丹
他
歴史地名
現代地名
詳細説明
切支丹(キリシタン)に関連する「切支丹坂」の地名は、江戸時代の日本においてキリシタン禁制の政策が進行する過程で、文京区小日向に設けられたキリシタンを収監するための牢屋「切支丹屋敷」の存在によって名付けられたものであり、この地名はかつて屋敷への経路として用いられた坂の名称に由来しており、またキリシタン屋敷自体は正保3年(1646年)に井上筑後守政重の下屋敷を改造して設けられ、寛政4年(1792年)に廃止されるまでの間、キリシタンたちの監禁や取り調べの場であったことから、周辺には同様の名称を持つ坂が複数存在していた可能性があり、歴史散歩コースのひとつとしても知られるこの坂は、往時の切支丹の悲しい歴史を今に伝える名前として残っています。