【間・馬・麻(マ)】

意味

港湾や入江に多いが、直線的な砂浜海岸の集落にも見られる。

内ノ間、外ノ間、大間、波照間、池間、多良間、鳩間、馬潟港、馬渡、馬越、馬堀、加計呂麻

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詳細説明

今治地方にある「間のお地蔵さん」は、東村にあり、眼病や風邪に対して特別な御利益があると信じられており、地元の人々のみならず遠方からの参拝者も多く訪れる、かつてお地蔵さんの前を通る際には履物を脱いで素足で通る人々が多かったとされ、今でも時折その風習が見受けられるため、「眼のお地蔵さん」や「風邪のお地蔵さん」とも呼ばれ、供養塔や墓の形をとっていることから、もともとは相当高貴な方を祀ったお墓ではないかとも噂され、中でも大舘氏明の首を葬った首塚という説もあり、大舘氏明は新田義貞や脇屋義助の甥にあたり、延元3年(1338年)に伊予守護となって世田山(周桑郡三芳町)の城主を務めたが、興国3年(1342年)9月に細川勢との戦いで奮闘の末、部下17名とともに自刃したといい、その最期の様子が『太平記』に「大館左馬之助討死事附篠塚勇力事」として記されており、具体的には彼とその従者たちが最後の力を振り絞って堀に着いた敵五百余人を追い落しつつ腹を切って枕を並べて果てたとある。