【雑賀(サイカ)】
意味
和歌山市。豊臣秀吉の紀州攻めの後、雑賀孫市の棟梁する雑賀とニ六ヶ村の本拠。
例
雑賀町、雑賀道、南雑賀町、新雑賀町、小雑賀、雑賀崎、雑賀山、雑賀川
他


詳細説明
雑賀(さいか、またはさいが)は和歌山市の地名で、古代から中世にかけて紀伊国海部郡に属していた地であり、その名は『万葉集』や『夫木和歌抄』に現れるなど古くから知られ、具体的な地名の意味や起源には諸説が存在するが、製鉄や鍛冶技術と関連付けられることが多く、実際に8世紀ごろには渡来系の金属技術者がいたとされる一方、雑賀荘という荘園が平安時代末期に成立し、鎌倉時代には名草郡と関連してその領域は拡大し、特に紀ノ川河口の紀伊湊との結びつきが強く、軍事的にも水軍集団として活躍し、一向宗徒の雑賀衆が戦国時代の一向一揆で重要な役割を果たし、最終的には羽柴秀吉による紀州征伐により壊滅したが、徳川時代以降もその地域には関連する地名が数多く残っている。