【内藤新宿(ナイトウシンジュク)】

意味

信州高遠藩内藤家の屋敷地が上地となって町屋が設けられ、また宿駅が、元禄期に至って新規の設置をみた。

内藤新宿

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詳細説明

内藤新宿は、江戸時代に甲州街道の日本橋から最初の宿場として、現在の東京都新宿区にあたる地域に設置された宿駅で、その地名は信州高遠藩主内藤家の下屋敷の一部を上地して開設されたことに由来しており、1698年に浅草の名主である高松喜兵衛をはじめとする5名の商人が幕府へ宿場開設を願い出て、翌年に許可されて開かれた内藤新宿は、江戸幕府成立からの約100年の経過で増大していた甲州街道の交通量を背景に、日本橋と高井戸宿の間での人馬の提供負担を軽減すべく制定され、宿場としてだけでなく歓楽地としても繁栄し、旅籠や茶屋が次第に増え、岡場所として賑わったが、1718年に享保の改革の一環として一旦廃止され、1772年に再開されると、施設の再編成や規制緩和を背景に再び賑わいを見せ、江戸四宿の一つとして発展を続けていった地で、その名は現代の新宿の基盤となった。