【柴又(シバマタ)】

意味

現在の葛飾区柴又。柴又八幡社には五世紀末~六世紀前半頃のものと思われる古墳が保存されている。

柴又

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詳細説明

柴又という地名の由来には、721年(養老5年)に存在したとされる「嶋俣(しままた)」から後に「芝俣」となり最終的に「柴又」と変遷した説が有力であり、嶋俣という地名は古来、江戸川と中川に挟まれた低地に土砂が堆積して島のように土地が高くなった場所を意味する「嶋」と、川が合流したり分岐したりする地点を指す「俣」に由来し、これは当時の自然地形や地理的特徴から名付けられたと考えられ、当時「嶋俣里」として記されたこの地域は、長い歴史の中で徐々にその名称が変化し、戦国時代には「柴俣」と呼ばれ、江戸時代中期以降、現在の「柴又」という表記が使われるようになり、1932年の東京市編入により葛飾区柴又町となり、さらに近代に至るまで発展を続けてきました。