【下谷(シタヤ)】
意味
地名の由来は、湯島・本郷台や上野台の下に連なる湿地状の低地という意と解される。
例
下谷
他


詳細説明
「下谷(シタヤ)」の地名の由来は、東京都台東区に位置する大名屋敷・武家町・小商工業地として発展した地域であり、古くは武蔵国豊島郡に属していたが、上野台地に対しその麓に位置する低地を意味する名前として、戦国期の1559年頃に最初に文献に見られ、「下屋」とも表記されたこともあり、江戸時代初期には自然豊かな低湿地が広がっていたが、徳川家康が関東に入った後の1600年代初頭に姫ヶ池や千束池などが埋め立てられ、市街地化が進んだ結果、寛永寺の創建にともない門前町としての発展を遂げ、江戸最初期の商業中心地としても賑わっていたことから、その後も多くの変遷を経て、地域的に「下谷」と呼ばれるようになり、明治期以降行政区画の改変を経た後も、再編された東京府下谷区として上野地域での存在感を維持し続け、1947年には浅草区と合併し現在の台東区となりましたが、まだ多くの者が「下谷」という地名に愛着を持ち、台東区の歴史と文化の一部として根付いています。