【挙母(コロモ)】

意味

垂仁天皇の子である大中津日子命を祖とする許呂母別が、三河国加茂郡に住み着いたことに由来。

挙母町

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詳細説明

挙母(ころも)の地名由来については、古くは「衣」や「許呂母」とも書かれ、三河国西加茂郡に位置する地域であり、「古事記」では垂仁天皇の皇子である大中津日子命が「許呂母別、高巣鹿之別」の祖であったと記されていることや、江戸時代には挙母藩2万石の城下町として栄えていたことがあるほか、繊維産業に依存していた時期もあり、また通説としては豊田市へと市名変更される以前の1951年から1959年まで使用された旧市名である挙母市の名称が挙母の地名の由来につながっていると言われており、さらに現在でも豊田市の中央部に位置する場所や矢作川西岸の地域を含むところには「挙母」という地名が残されていることなどが挙げられ、市の発展に伴いトヨタ自動車関連の企業城下町として全国的に有名となり、地名が伝統的な「挙母」から「豊田」に改称された背景には、挙母という地名が読みにくいことや市の繁栄といった観点が影響していたことが明らかで、加えて挙母神社の挙母祭りの山車が県の有形民俗文化財に指定されていることなどからも、挙母という地名は文化的および歴史的に豊かな背景を持つ名称として地域に根付いていることが窺えます。