【十三塚(トミヅカ)】
意味
全国的にみると約三百例の十三塚がある。烽をあげたことから、形式化して十三塚をつくるようになったか。
例
十三塚、冨塚
他


詳細説明
十三塚とは、日本全国におよそ三百例ほど分布している名称であり、その由来は多様であるが、特に仏教における十三仏信仰と深い関わりがあり、死後の故人の魂が成仏するまでの過程において十三の仏が導くとされる信仰に基づき、各塚にそれぞれの仏を象徴的に祀る形で塚を十三基築くという形式がとられたと考えられ、また、戦国期などに非業の死を遂げた十三人の戦死者や無念のうちに倒れた者たちの霊を供養する目的でも築かれることがあり、さらに、村境や国境などの境界を示す標識や、災厄や悪霊の侵入を防ぐための宗教的な結界としての意味も持ち、真言宗の修法壇として僧侶が十三基の塚に梵字の塔婆を立てて護摩を焚くなどの呪法を行った例も存在し、これらの塚は時に「王塚」と呼ばれる中心的なものを含み、地元の伝承や伝説と結びつきながら畏敬の対象となることが多く、また、「十三」という数自体が縄文時代の埋葬事例にも見られるように、古くから宗教的または象徴的な意味を持っていた可能性があり、さらには戦時における烽火(のろし)の台としての機能を有していた場合もあるとされ、これら多面的な背景から、十三塚は単なる地名ではなく、人々の死生観、信仰、土地の歴史、そして災厄への畏れと祈りといった重層的な文化が一体となって形成された、深い民俗的意味を内包した場所なのである。