【吉原(ヨシワラ)】
意味
江戸唯一の幕府公認の遊郭があったところ。
例
吉原
他


詳細説明
東京都台東区にかつて存在した吉原は、江戸時代初期の1617年(元和3年)に幕府が江戸市内に散在していた遊女屋を一箇所に集める施策の一環として設立され、元々は草が繁茂していた葭原(ヨシハラ)と呼ばれたが、その後、縁起の良い漢字を使って吉原と名を変え、1657年(明暦3年)の大火後に浅草の現台東区千束に移転したことを機に新たに新吉原と称され、以降は幕末から明治にかけての変遷を経ても日本有数の遊里として繁栄を続け、昭和期には公娼制度の廃止に伴いその歴史に幕を閉じ、地域社会の変遷と共に娯楽や観光の要素を取り入れながら現存する一方、静岡県富士市には江戸時代に東海道五十三次の宿場町として栄えた別な吉原があり、この地域は江戸時代初期には津波などの自然災害を被りつつも宿場町として移転と再建を経て発展を遂げ、製紙業や自動車、繊維工業などの近代産業も興隆したことから、地域の産業及び文化の中心としての役割を果たしていた。