【六波羅(ロクハラ)】

意味

その名の由来は、東山の麓原(山麓)の転訛したものとも、髑髏原に因むものともいわれるが確証はない。

六波羅

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詳細説明

六波羅(ろくはら)は、現在の京都市東山区に位置し、賀茂川の東岸の地域であり、その地名の由来は一説に仏教の修行の一つである「六波羅蜜」に因んで名付けられたとされるが、他にも東山の山麓に位置する「麓原」から転じたとする説や葬送の地として知られた東山鳥辺野にかつて存在した「髑髏原」から由来しているとの説もあり、平安時代には空也が創建した西光寺が後に六波羅蜜寺と改称されて六波羅と呼ばれるようになったが、同時期には平正盛が六波羅蜜寺内に邸宅を構え、その後孫の平清盛によって平家の本拠地とされ、鎌倉時代には源頼朝がここに京都の拠点を築き、更に1221年に起こった承久の乱の後に鎌倉幕府が京の政務を管掌するための六波羅探題が設置されるなど、平安期から鎌倉期にかけて、六波羅は貴族や武士の政治・宗教の重要な拠点としてその地位を誇り、寺院や貴族邸宅が集まり、後に多くの歴史的変遷を経て、足利尊氏による六波羅探題の滅亡後には、市街地として再発展し現在も多くの寺院が残る歴史的な名所となっている。