【山科(ヤマシナ)】

意味

山科盆地のほぼ全域をさす広域地名で、『和名抄』では山城国宇治郡の郷として記載されている。

山科

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詳細説明

「山科」の地名の由来は、古代から京都市東部に位置する山科盆地が多くの歴史的変遷を経て名付けられたものであり、地名は元来「山科」や「山階」とも書かれましたが、この地域はまさに山城国宇治郡の北部で、縄文時代から古墳時代にかけての集落が存在し、藤原鎌足の邸宅があったとされるなど早くから開発され、人々が住んでいました。この地の名称は、中世になると後白河上皇の御所となり、皇室領として山科荘や山科家が継承しましたが、1478年蓮如による山科本願寺の建立から1532年の焼亡まで、本願寺とその寺内町として栄え、浄土真宗の拠点となったことでさらに地名が広まったとされ、近世には禁裏御料として皇室領が多く、山科七郷の組織体制が続く中で、寺院創建や貴族の別荘地としても繁栄し、それらの歴史的遺産を背景にした山科の地名は、やがて現代の京都市山科区として行政区画上の一部として独立し、京都と大津を結ぶ交通要地に位置しながら住宅地としての開発も進んできた地点です。