【三盛(ミツモリ)】

意味

三盛町の名は、清盛の邸宅とともに平家一門の頼盛、教盛の邸宅も営まれていたことによるものとされている。

三盛町

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詳細説明

三盛町(みつもりちょう)という地名は、京都市東山区に位置しており、歴史的には平安時代に存在した平氏の拠点である六波羅館の跡地に関連し、当初は泉殿(いずみどの)町と呼ばれていましたが、後に建仁寺の領地として畑地になった地域を宝暦十三年に町地へと開発した際に、北東竪横の町で見られたことから「三盛町」という名が付けられました。この名称は、19世紀初期に出版された地図や書物で名を表しており、特に天保二年(1831年)の改正京町絵図細見大成や京都巡覧記に「三ツモリ丁」や「六波羅裏門前西ヘ入三森町」として記されたことが確認されています。また、同区域には平清盛やその兄弟の平教盛、平頼盛といった有力な平家の人物たちの屋敷が所在した地としても認識され、平家の栄華とその後の歴史的変遷が反映された地名の一つとして、現在もその名を留めています。