饗の事の神(田の神)で、春秋二季(二月・十二月五日)の田の神祭りに豊作を祈り、収穫を祝って祀られる。
宗教の地名
神道、仏教、民間信仰、キリスト教など、日本各地の信仰や宗教活動の歴史を背景に生まれた地名で、祭祀や宗教施設に由来することが多い。
仲松弥秀・谷川健一説によれば「青」は古代の葬所という。
現田辺市では神饌田をアゲタともオンダともいう。アゲ、アンダは水害の憂いなく米の質のよい所をいう。
古代において宗像氏とならぶ海人集団である安(阿)曇氏に因む地名。崖・傾斜地に関連した地名であろう。
大山は阿夫利山、雨降山とも呼び、阿夫利神社を祀る。雨乞い信仰の山で、祭神は石尊大権現ともいう。
高盛飯の形状をした山容から名づけられた山。豊作を祈る予祝儀礼のなかにもその名が登場する。
イザナギ・イザナミの神話に由来する。 淡路島は一番最初に作られた。
出雲国風土紀には、郡名・郷明としてもみられる。湧き出る雲に語源を求める説と藻に由来を求める説がある。
伊勢という国名は『記・紀』にもよくみられる。伊勢と伊勢神宮との関係は深い。
稲干し場・稲架場を意味する。イナバは田の神の祭場でもあった。
祖谷をはじめ、各地に関連地名がある。谷奥の山地でふだん人が近づかず畏怖感を与えるようなところをいう。
播磨から中国地方にかけて、株(同族組織)の先祖をいわいこめたイワイガミの祭りが行われている。
一般的に村の氏神をウブスナとかウブシナ・オボスナと呼ぶ。神社の砂を安産のお守りとする習俗も見られる。
馬をつれて山の神を迎えると安産をするとの東北の伝承がある。
岩手・宮城両県に分布する水神・作物の神。
奈良県磯城郡にあった村名で俗に多神社といわれる多坐弥志理都比古神社が鎮座している。
今治市の島名であり、大山祇神社が鎮座する島として知られる。俗に三島大名神といい伊予国の一宮であった。
二月堂の若狭井へ水の流れがかわるから音無川と呼んでいる。
アイヌ語を起源にもつもの、鬼にまつわる伝説があるもの、岩や洞窟など奇観を呈するところなどがある。
樫や椎・椿で作った鉤形の小枝を山の神や峠道の古木にかけ恵方を向いて、一年間の山仕事の無事を祈る行事。
『和名抄』に筑前国糟屋郡の郷名としてみられる。「樫の生えるところ」また「傾斜地・崖」とする説がある。
天大神社をはじめとする三社があわさって香島の天大神となったとあり、これが現在の鹿島神宮の由来である。
香取神宮で知られ、現在も千葉県の郡名として地名が残されている。鹿島神と共に武神としてたたえられた。
地名の語源としては、鳥の鴨に因むという説や「上」または「神」が転訛したものとする説がある。
若狭から近畿一円にかけて正月に行われる勧請吊し・蛇縄・蛇綱などと呼ぶ道切りの神事にもとづく呼称。

狐塚の話では狐塚を田の神の祭場と推察し屋内で行われる田の神祭りに移行する以前の古い形を伝えている。
経典を書写し、陶器・銅・鉄・石などで作った経筒に入れ埋納した塚をいう。
禁教令の弾圧で侮蔑的に切死丹・鬼理死丹が使われた。徳川綱吉以降は吉利支丹は、切支丹という表記が一般。
九頭竜川は、かつてはたびたび流れをかえるあばれ川であった。
紀伊国牟婁郡の一帯を指す地名。熊野の語源は奥まったところ(常世国からみての奥)の野と解釈できる。
気高神(強い風の神)が転訛したものが気多神である。また崖を意味する「ケタ」が語源とする説もみられる。
サンマイ(埋葬墓)や寺院に隣接しているところ。

古い寺跡や墓地、合戦場で石仏や五輪が出土したり病人が出たりして山林の売買もむずかしくなるような山。
気比神宮で知られる。『古事記伝』には「ケ」は食であり、「ヒ」は霊であるとしている。「強風」説もある。
牛王=牛王宝印。神社の祈年祭やオコナイで授けられた牛王木は豊作と虫除けを祈って田の水口や苗代にさす。
路傍や辻に青面金剛の庚申塚や庚申塔が祀られ地名となったもので、巣鴨の庚申塚はよく知られている。
虚空蔵菩薩に由来する。広大ですべてのものを包みこむ蔵のように、無限の福徳や智慧を持つといわれる。
貴種流離譚を秘めた隠里の伝承は各地に多い。御所の跡とされる場所に小祠が設けられていたりする。
厄神や非業の死者の怨霊を鎮め祟りを封じるために平安時代以降御霊会が営まれ、御霊社や御霊塚が築かれた。
「本地垂迹説」では、仏・菩薩が衆生を救うために、権に神となって現れるというのである。
「金剛」は、寺名、修験の山々、山や寺にゆかりの深い村、町、橋、坂、峠等の地名となっていった。
コンセイ(金精・金勢)サマは男根をご神体とする性神で、関東以北に分布する。
塞の神は、悪霊や災厄の侵入を防ぐために境界や辻に祀られる。
祭りの掛声をサイヤレと呼びあうところがある。災祓い・祭礼・山野霊・サアヤレ(催促)などの語源説あり。
平安中期以後、吉野の金峰山で崇拝された修験道独自の神である「蔵王権現」が祀られたことに由来する。
「地蔵ヶ岳」といわれている山梨県韮崎市の西方に屹立する花崗岩の特異な景観は県内各地から望まれる。
紫福の地名の由来については、至福がなまって「シブキ」になったという説もある。
石神の信仰は日本の神信仰のなかでももっとも原始的な信仰であろう。土地の開作の際に祀られた。
語源は大阪の住吉神社からきている。航海安全の神として各地の海や河湖の岸に祭られることが多い。
諏訪大社に因む地名。「湿地・谷」、「山地の崖側・山の斜面」を意味するソハの転訛であるという説もある。

神子の村はずれの海岸にセンジキ岩と呼ぶ岩場があり、カラスに餅を供えて大漁を占う神事が行われる。
帝釈天は、インド民族に親しまれていたインドラ神が仏教に取り入れられ同化した後の呼称。
陰陽道の方徐の神大将軍は、中世以降、陰陽師の布教活動によって地方へ普及した。
大日はインドの密教者善無畏とその弟子の案出といわれる。本地垂迹説では、天照大神の本地にあてられた。

三郷町立野に龍田大社がある。「風神を龍田の立野に祀らしむ」とみえるように風雨鎮静の神である。
中部から関東・東北にかけて小祠・地名が分布。土地を守り、雨乞い・腫もの平癒など諸願成就を祈る。
伝承では多賀大社の祭神伊弉諾尊が、杉坂からひととびにとびおりて調宮に降臨されたのでトビノキという。
養老二年(七一八)泰澄が山を開き神を明らかにしたと伝えられている。
境を挟んでの競技の地で、ハマを飛ばしてより深く隣の村に投げ入れるのを勝ちとした。破魔矢の由来。
「般若」は智慧を意味するが、嫉妬に燃える鬼女の象徴ともされ、地名には仏教信仰や歴史が背景にある。
近江・山城の国境の山名。「冷え」で寒冷地の意味、高くそびえた地とする説、崖を意味する説がみられる。
毘沙門天はヒンドゥー教における財宝の神。四天王の随一として北方守護の武神と尊重された。
「成田不動」の名で知られる成田山明王院神護新勝寺は天慶三年(九四〇)開基と伝えられる寺である。

インド最古の経典『リグ・ヴェーダー』のなかにあらわれる河川の神。水や豊饒の女神である。
菩薩は「悟りを目指す人」の意味があり、観世音菩薩、地蔵菩薩、八幡大菩薩などと呼ばれ信仰された。
宗像神社は宗像三女神を祭神としており、宗像氏によって奉斎された神社である。
「村雲」という地名は、群がる雲の様子や神話の神名に由来します。
単に森とか小森と呼ぶのは、ほとんどが地主神や荒神、イワイガミ・野神・山の神などの民俗神であろう。
知恵第一の文殊菩薩といわれ、衆生に楽を与えるともいわれる。普賢菩薩と一対で釈迦如来の脇侍である。
切り捨てたキリシタン信者を穴に放り込んで火をつけたことに由来する説と、教会堂を焼き討ちした説がある。
薬師瑠璃光如来は、衆生の病苦を除き、現世の利益をもたらすといわれる仏である。
姑を御坊につれていき尊号を称えたところ、くっついていた般若の面がとれたという嫁威伝説に因む地名。
小字(三昧谷・蘭塔など)や通称として、近年各地で顕著に見られる墓地の移転後も小地名として残っている。
インド神話の人面蛇身の半身、「ナーガ」の崇拝が仏教に取り入れられ、龍神信仰と混交したといわれる。