市は、交通の便のいい地に開かれるが、市が開設された地には市・市場(一場・市庭)地名が残ることが多い。
社会文化の地名
街道、関所、船着き場、宿場町など、古代から近代に至る交通・流通の要衝に由来する地名。
一里塚・一里壇ともいう。すでに豊臣秀吉が人里ごとに五間四方の塚を築かせたことに始まる。
古代・中世・近世を通じて、厩を置く施設は多いが、ウマヤ地名の中には古代の駅に関係するものがある。
道路の分妓点を意味し、全国各地にあるが、主要街道の追分には交通集落が発達した。
峡谷に沿って柵のように板を渡して架けた橋で、桟道ともいう。木曾の懸橋が古来有名である。
山間の峡谷を渡るために架けられた手動のロープウェイをいい、その所在地に小地名として残ることがある。
河川水運の船着場をいい、船を繋ぐ杭を意味することから起こった地名。カシはカセとも言った。
唐橋は中国風の立派な橋としてその名があり、都内や幹線道路に設けられたと思われる。
古語で物を背負うことをカルフというので牛馬で運搬できず人が荷を背負って通る山地の入口にある沢のこと。
道路が山地や丘陵に切通しを造るのは、ほぼ主要道路に限られる。切通で最も著名なのは鎌倉の七口である。
履物の沓(わらじ)を宿で履き替えることから起こった地名といわれ、中山道沓掛宿がよく知られる。
車路(車地)地名は九州北部に多いが、山陽・近畿にも存在し、いずれも古代幹線道路の沿岸に見られる。
由来は討ち取った敵の武将の首を実検の前に化粧したところであるとか付近に娼家があったからとか言われる。
近世は将軍や藩主の別荘、旅行中の専用宿舎を御殿と称したが、特に将軍関係のものを御殿ということが多い。
東日本に多く分布し、牧場・馬産地・馬場などに因む地名。
寒神・幸神・才ノ神などとも書き、また道陸神ともいう。本来、境界を守って悪霊の侵入を防ぐ神であろう。

古くは峠を坂と言ったので、峠下を坂本といい、主要道路の坂本には交通集落が発達した。
猿が馬場は山上の平坦地に付けられた地名と思われる。
塩尻には塩田で砂を摺鉢状に盛り上げた、製塩の設備を意味することもある。
平安時代末期以降、交通量の多い街道沿いに発達した民営の宿泊施設を中心にした交通集落をいう。
為政者が交通を取り締まり、また通行料を徴収するために関を設けたが、各地に残る関地名がその位置を示す。
古代東山道駅路沿いに山道と、これが転化したと見られる仙道・千道・先道・千堂などの地名がある。
大道は各時代の幹線道路を意味するものと思われる。
石が立っていることから起こった地名で、その石は自然石のこともあり、近世の道標など人工的なものもある。
低地での築堤や丘陵の切通しなどの場合、その工事は強く意識されて地名として残ったと思われる。
伝馬制は古代に始まり特定の官用の旅行者のために郡家に伝馬が置かれこれをデンメ・ツタワリウマといった。

古くは坂といい、神への手向けとする説と山の稜線の撓みを乢・塔と呼ぶので乢越えであるとする説がある。
本来、縄手は条里制など古代の土地測量の基準線を意味したと思われるが、直線道をも意味した。
橋畔には多くの道路が集中し、また可航河川の場合は水陸交通の接点にもなって、交通集落が発達した。
古代から近世を通じて、緊急連絡には早馬が用いられた。古代には駅馬をハユマと呼んだ。
火山(日山)は、昼は煙を上げ、夜は火をたいて、通信を行う、古代の烽(とぶひ・すすみ)の跡を意味する。
調・庸の運搬車や一般旅行者のために、国や僧などによって建てられた宿泊所を布施屋といった。
高札場は、町中の主要交差点に置かれることが多かったので、その場所を俗に札の辻と呼んだ。
船を並べて繋ぎ、その上に板を敷いて橋にしたもので、浮橋ともいう。
牧場などで馬を囲い込む施設を意味すると思われるが、広く馬を扱う施設にも設置されたと考えられる。
古代駅伝制による駅家は、ヤクカ・ウマヤと称したが、これを馬継と呼び、それが転化して松木になった。
主要な峠では神を祀って旅の安全を祈願したので畏敬の念をこめて御坂と称し祭祀遺跡が残るところも多い。
近世、城下町の城門や木戸などで番人が見張るところのことをいった。
駅地名は、近代の鉄道駅に因むものが多い。なお、中国地方では小さい谷をエキというので、区別が必要。
横は東西方向を意味し、東西に通る大路をいう。
渡河点を意味する地名。古代郷名・駅名に各地の曰理があり、それぞれ主要河川の渡河点に位置している。