アラキは新墾のことで、新しく開墾した土の粗い地をいい、焼畑開墾地をいう名彙ともなっている。
社会文化の地名
交通路、経済活動、文化的活動など人間社会の営みから生まれた地名群で、時代ごとの社会構造や文化の発展過程を反映する。
市は、交通の便のいい地に開かれるが、市が開設された地には市・市場(一場・市庭)地名が残ることが多い。
一里塚・一里壇ともいう。すでに豊臣秀吉が人里ごとに五間四方の塚を築かせたことに始まる。
荘園内部の地目に由来する地名。公事が免除され年貢だけを負担した。一方、開発地も一色と言われていた。
荘園制の一色田が地名化したもの。一色田は年貢だけを賦課され、雑公事を免除された田地をいう。
中世の行政領域ないし所領を示す単位に由来する地名。
ウイの語源には地形説、新開地新田説、熊野三笛の一つ宇井氏の所領・居住地説、転音説、牛牧説等々ある。
古代・中世・近世を通じて、厩を置く施設は多いが、ウマヤ地名の中には古代の駅に関係するものがある。
道路の分妓点を意味し、全国各地にあるが、主要街道の追分には交通集落が発達した。
城の正面で表門のあるところを大手あるいは追手ともいい、普通この表門を「大手門」と称する。
山腹など小高い場所の緩やかな斜面をいい、字義通り小さな野原である。小野氏の氏族ともかかわっている。
垣根の内を意味する「「かきつ」「かきと」から変化した呼称。もとは垣によって囲まれた耕地を意味した。
垣で囲まれた豪族屋敷または集落が「垣内」と呼ばれる場所であったと思われる。
村落の形態変化もありその実態は一様ではないが多くの屋敷の集まった集落地をカイトと呼ぶようになった。
峡谷に沿って柵のように板を渡して架けた橋で、桟道ともいう。木曾の懸橋が古来有名である。
山間の峡谷を渡るために架けられた手動のロープウェイをいい、その所在地に小地名として残ることがある。
河川水運の船着場をいい、船を繋ぐ杭を意味することから起こった地名。カシはカセとも言った。
住居を中心とする一区画の屋敷地のことをカドと呼び、それが部落など小地域結合の名称として拡大したもの。
カノ・ナギは、焼畑をいう。語源は「刈野」にあるという。刈るも薙ぐもほぼ同様の行為である。
平安時代に荘園の本免田に付け加えられた荘田のこと、ないし付加を実現しようとする行為のこと。
唐橋は中国風の立派な橋としてその名があり、都内や幹線道路に設けられたと思われる。
古語で物を背負うことをカルフというので牛馬で運搬できず人が荷を背負って通る山地の入口にある沢のこと。
地名の由来は不明。伊勢神宮の神田があった故とする説や御田を神田明神のものとする説もある。
神社に与えられた封土に由来する地名。
古くは城をキと呼称していた。「上下に石で堅小固に築いた城」とする説もある。
キョウデンには諸説があって、競田の意とする説、給田の訛りとする説、経田とする説などがある。
道路が山地や丘陵に切通しを造るのは、ほぼ主要道路に限られる。切通で最も著名なのは鎌倉の七口である。
江戸時代に銀貨の鋳造所(銀座)が設置されたことからこの名が付けられた地域。
琉球弧に属する奄美諸島・沖縄諸島・石垣諸島に分布する城の呼び名。琉球の祖霊神ニライカナイの拝所。
草生水とも記す。 石油の原油の越後地方での古称。
履物の沓(わらじ)を宿で履き替えることから起こった地名といわれ、中山道沓掛宿がよく知られる。
中世荘園の荘官ないしそれが給与された田地に由来する地名。
荘園の年貢などを本家・領家へ送るまでに、一時的に納めておく建物ないしそれが建てられていた場所のこと。
車路(車地)地名は九州北部に多いが、山陽・近畿にも存在し、いずれも古代幹線道路の沿岸に見られる。
城郭の中の一定の区城を示す名称。城の中核部分を取り巻いて外側へ防衛線を輪のように設営した。
由来は討ち取った敵の武将の首を実検の前に化粧したところであるとか付近に娼家があったからとか言われる。
近世城下町における武家屋敷町の名称。同職の者が長屋に集団で住居しており、その居住地のことを呼んだ。
小路、すなわち小さい道の意から発した語と思われ、小さい道に囲まれた小さい地域の呼称となったもの。
コウヤは荒野あるいは曠野というべき荒地を指す素地名でこの地名は近世の開拓地名として興っている。
城郭の要所に当る部位の名称で、敵勢が一時に攻めこまないように道路を狭くし曲折させてあるところをいう。
近世は将軍や藩主の別荘、旅行中の専用宿舎を御殿と称したが、特に将軍関係のものを御殿ということが多い。
東日本に多く分布し、牧場・馬産地・馬場などに因む地名。
中世の農民の屋敷地ないしそれへの賦課に由来する地名。
寒神・幸神・才ノ神などとも書き、また道陸神ともいう。本来、境界を守って悪霊の侵入を防ぐ神であろう。

古くは峠を坂と言ったので、峠下を坂本といい、主要道路の坂本には交通集落が発達した。

関東地方では焼畑をサスと呼んでいる。東京都はじめ佐須の文字をあてた地名がみられる。
猿が馬場は山上の平坦地に付けられた地名と思われる。
戦国時代に中国・四国で多く使用された中世の城下集落をさす地名。山城の麓に発展した集落である。
塩尻には塩田で砂を摺鉢状に盛り上げた、製塩の設備を意味することもある。
シマは島嶼や岩礁を指す。部落またはその内の小区画の呼称、氾濫原の中の自然堤防上の微高地をいう。
平安時代末期以降、交通量の多い街道沿いに発達した民営の宿泊施設を中心にした交通集落をいう。
領主の直営地に由来する地名。正作は、荘園領主あるいは在地領主の経営の要になる作田という意味がある。
城をキと呼ぶ時代より後の呼称。城の存在を示す地名、城の所在と形や機能を示す地名がある。

中世前期に、合戦の際に臨時に構築される城郭のことを「陣」と称した。
新庄は荘園・古庄に対する新開拓の荘園であり、新城ともつくり、全国的に広く分布をみている。
一般的には新たに開拓された耕地(田畑とも)を新田といい歴史的には新田開発によって生じた開発地をいう。

城を持たない万石以上の大名の居所、あるいは天領の代官など幕府の役人の駐在するところを陣屋と称した。

集落の小区画すなわち小組のことを呼んだり、組のことをズシといい、それぞれ何々ズシの名がある。
為政者が交通を取り締まり、また通行料を徴収するために関を設けたが、各地に残る関地名がその位置を示す。
古代東山道駅路沿いに山道と、これが転化したと見られる仙道・千道・先道・千堂などの地名がある。

中世の百姓の屋敷地に由来する地名。南九州地域に多い。在家と同様の構成を指して薗(園)と呼んだ。
ソリ・アラシは焼畑をいうとともに焼畑後地ならびに山の急斜面または崩壊地名をも意味する。
大道は各時代の幹線道路を意味するものと思われる。
すでにある程度労働力が投下されるなどして、開発権が優先的に承認されていた耕地を意味していた。
本来は低地に臨んだ丘陵の先端の地形をさす語であるが、東北地方には館と呼ばれる独特の城郭形態がある。
石が立っていることから起こった地名で、その石は自然石のこともあり、近世の道標など人工的なものもある。

地形的には海岸丘陵、沼沢または海岸に近い丘陵などの要害の地に堀をめぐらし、内側に土塁を作る。
領主の直営地に由来する地名。佃は「田つくる」に起因する用語で「直営」であることを表現した呼称である。
低地での築堤や丘陵の切通しなどの場合、その工事は強く意識されて地名として残ったと思われる。
伝馬制は古代に始まり特定の官用の旅行者のために郡家に伝馬が置かれこれをデンメ・ツタワリウマといった。
中世の領主屋敷を起源とする地名。土塁は「土居」と呼ばれて領主の屋敷を示す呼称となった。

古くは坂といい、神への手向けとする説と山の稜線の撓みを乢・塔と呼ぶので乢越えであるとする説がある。
砦は「本城の外の要所に設けた小規模な城で木柵などで囲って内に栄兵を置く出城」の意味に取られてきた。
本来、縄手は条里制など古代の土地測量の基準線を意味したと思われるが、直線道をも意味した。
部落内の小区画。古くからの「労働と祭りの共同の場」という意味が、最小地域共同体の呼び名になっている。
湿地・沼地名彙。ヌタは怒田・垈・沼田とつくり、ヌタ・ニタ・ノタはともに泥土をいう。
山の根元(=麓)に設けられた小屋とか寝小屋の意味。豪族屋敷村で東日本における城下町の初期の形態。
橋畔には多くの道路が集中し、また可航河川の場合は水陸交通の接点にもなって、交通集落が発達した。
古代から近世を通じて、緊急連絡には早馬が用いられた。古代には駅馬をハユマと呼んだ。
ハリは、治・墾・榛などとつくる。未墾地の開墾をあらわし、榛はハンノキという木の植生地に基因する。
ハルは、治・墾・春などとつくる。春は「開く」「掘る」にも通じる地名がある。
火山(日山)は、昼は煙を上げ、夜は火をたいて、通信を行う、古代の烽(とぶひ・すすみ)の跡を意味する。
調・庸の運搬車や一般旅行者のために、国や僧などによって建てられた宿泊所を布施屋といった。
高札場は、町中の主要交差点に置かれることが多かったので、その場所を俗に札の辻と呼んだ。
古代の国衙ないし中世の守護所に由来する地名。国府の中のことを府中といわれるようになった説がある。
船を並べて繋ぎ、その上に板を敷いて橋にしたもので、浮橋ともいう。
城の麓に設けられたことからフモトと呼ばれた。この「麓」制度は薩摩藩によってはじめられたものである。
鹿児島の各地で士族集落をいう。近世の薩摩藩において在郷の武士団の居住集落として形成された。
村落内の小区画をいい、漢字では「触」の字を当てる。方向に関係する名称が多い。
平安時代後期以降の国衙領内部の所領の由来をもつ地名。
中世から江戸初期にかけて別府とも書き、旧来の荘園に対して別の免符によって開拓した荘園を意味する。
平安中期以降、郡や荘園の内部区分として用いられた呼称に由来する地名。
ホラと称する地形は、短小な渓谷で谷頭が閉寒されていて、谷底が緩傾斜で水田や湿地を伴うような形のもの。
近世城になると鉄砲の普及によって堀が拡幅・強化されてきたため、堀が地名として定着したものが多い。
居館の特色である堀をめぐらすということが象徴となって、領主の屋形を「堀の内」と呼ぶようになった。
11世紀以降起こった郡郷制の再編の結果生じた地名。
もとの荘園の隣接地が寄進などを通じて新たに領有が認められた荘園のこと。
牧場などで馬を囲い込む施設を意味すると思われるが、広く馬を扱う施設にも設置されたと考えられる。
古代駅伝制による駅家は、ヤクカ・ウマヤと称したが、これを馬継と呼び、それが転化して松木になった。
近世城郭における郭の名。城の防衛線を曲輪と呼び、曲輪が丸と呼びかえられた。
中世の荘園の支配機構に由来する地名。荘園運営のための施設を政所、荘政所と呼んだ。
天皇家や伊勢神宮・賀茂神社などの所領に由来する地名。
主要な峠では神を祀って旅の安全を祈願したので畏敬の念をこめて御坂と称し祭祀遺跡が残るところも多い。
近世、城下町の城門や木戸などで番人が見張るところのことをいった。
『大日本国語辞典』では、「草の生い茂った沼」とある。一般には「湿地・湿田」と理解されている。
中世の在地領主、土豪、百姓などの屋敷地に由来する地名。
漢字ではいずれも「谷」と当てる。台地・丘陵面を侵食した浅い湿った小さい谷をいう語である。
駅地名は、近代の鉄道駅に因むものが多い。なお、中国地方では小さい谷をエキというので、区別が必要。
本来屋敷・屋敷地の意であるが、個々の宅地以外に地域結合を指してヤシキと呼ぶ事例がある。
湿地・沼地名彙。ヤチは谷地が一般的であるが、谷内・野地・屋地などとも書く。
横は東西方向を意味し、東西に通る大路をいう。
中世の荘園制支配に由来する地名。
渡河点を意味する地名。古代郷名・駅名に各地の曰理があり、それぞれ主要河川の渡河点に位置している。